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       展示内容
 

       ●想い出の写真のかずかず    〜歌手・俳優 鶴田浩二の歩み〜

       ●書簡

       ●コンサート用楽譜、レコード盤、CD ほか

       ●鶴田浩二の吉田メロディーコーナー   
          ミュージックプレーヤー(利用料200円)でヒット曲をお楽しみいただけます。

       ●等身大パネル 〜記念写真をどうぞ〜  

       ●鶴田浩二の歌唱曲BEST3   (アンケート投票コーナー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

    鶴田浩二 プロフィール

      鶴田浩二(つるた こうじ、1924年12月6日〜1987年6月16日)本名 小野榮一。静岡県浜松市出身。

      14歳のときに俳優に憧れ当時のスターであった高田浩吉の劇団に入団。1948年(昭和23年)、松竹映画「遊侠の群れ」でデビュー。

     抜群の風貌と時々垣間見せる母性的なやさしさが人気を博し、映画全盛期に200本を超える映画に出演して日本を代表する映画

     スターとして君臨した。東映の任侠路線のトップスターとして高倉健とともに多くの映画に出演し、1970年「傷だらけの人生」は、大

     ヒットとなった。

      左手を耳に添えて歌う独特のポーズでよく知られる歌手鶴田浩二が歌った吉田メロディーは、約100曲。「街のサンドイッチマン」、

     「さすらいの舟歌」、「赤と黒のブルース」、「好きだった」、「男」、「傷だらけの人生」、「惚れた」、「望郷の町で」ほか数多くのヒット曲を

     歌った。

      吉田正氏がビクターの専属作曲家として活動を始め、まだヒット曲に恵まれなかった頃に鶴田浩二が掛けた一声、「流行歌を作ろう

     という人が真面目一本ではあまりに硬すぎる。少しは、くだけないと」。この言葉が転機となり、吉田正氏の作風は、大きく進歩し数多く

     のヒット曲を生み出すことになったのは有名な逸話である。

      無類の野球好きであり、私設チーム「鶴田ヤンガース」を率いたこともある。

     戦死した友のために長年にわたりチャリティーショーを行い、日本遺族会に総額5千万以上の寄付を行い、南洋の島々へ自ら渡航して

     多くの御霊を祖国に帰還させた。